いた人が、いなくなったということ

2017年2月1日、おばあちゃんが往生を遂げました。93年の生涯でした。

身近な人の喪失は、一番直接的な我が身を振り返る機会ですので、
考えたことをひとつここにまとめておこうかと思います。
(いや、というよりは、「書かずにはいられない」と言う気持ちのほうが正直で正確かもしれません。)

これまでも体調を崩しがちなタイミングはあったのですが、
昨年の末にいよいよ、と言うか「もう桜は見られないと思う」と母親から連絡が入り、
二ヶ月ほどしたあとの知らせでした。
※私の母親は長く看護師を務めていました。命日は母親の予想と三日とズレていなかったようです。

葬儀に関しては職場にご理解いただき、納棺から、通夜、葬儀、初七日(略式)と、
ひと通り、参加することが出来ました。この場を借りて改めて感謝いたします。




葬儀の二週間前に一度、帰郷することが出来、(結果的にですが)今生の別れをすることも出来ました。

おばあちゃんに会えたのは病院のベットで、
おみやげのジャムを食べてもらったり(固形物はもう口に入らない状態でした。)
体を抱き寄せさせてもらったり、ただ、目を合わせて、言葉ではないやり取りをしてきました。
抱き寄せたおばあちゃんは、ほんとうに小さく、「小さくなったのはボクに全てをくれたから」という『東京タワー』の描写を思い出しました。
会話もいくつかだけ出来たのですが、、私ここかなり強烈に刻まれたことだったんですけど。
こんなタイミングでもおばあちゃんが言う事って、普段と全くおんなじだったんですね。

「今日は泊まってかんがけ?(いかないの?)」
「ひどいがにつかえんかったねぇ(来るのが大変なのに来てもらって申し訳なかったねぇ)」
「あいそんなかったねぇ(充分にもてなせなかったね?)」
「ケガせんと、いっしょうけんめいはたらかれ」

「おっきなった、、おっきなった、、、」

なんでおばあちゃんは、、、
こんなタイミングでも、自分が痛いとか、苦しいとか、一言も言わないんだろう。
自分がもし、おばあちゃんのように年齢を重ねても、ああいう風になれるとは到底思えなくて。
帰り道、母親が、
「おばあちゃんみたいな人はおばあちゃんしかムリ。」
「あんた『この世界の片隅に』観たいうとったやろ。あの時代の人いうことやちゃ。」
と言っていました。それなんだかわかる気がするんです。
(あぁ。すずさんとおばあちゃんはほとんど同い年なんだ。)と。
わからない。決してわからないんですけど。なんとなくは。
(そう考えると能年玲奈もすごいなぁ。観てない人観てみてください。)




すこし、私とおばあちゃんの話をさせていただくと
私の家がそもそも共働きでして、母親は看護師で帰りも遅いということで、
夏休みの期間はまだ小さいわたしが一人になってしまうと。
なのでその間だけ母方の実家に居候をしていたんですね。
「夏休みになったらおばあちゃんと一ヶ月過ごす」
小学生の時はそういう日々を送っていました。

おばあちゃんって本当にすごい人で、僕はただ、100%かわいがってもらうだけの存在でした。
兎に角おばあちゃんにはめんどくさがられた記憶がただの一瞬もありません。
ただの瞬き、表情、口調、一瞬も負の感情を僕に向けたことがなく、ただただ愛情を注いでもらいました。
この世に絶対的なものがあるのだとしたら、それがおばあちゃんでした。

“穏やかで優しく家族の幸せを守ってくれる人でした”
これは新聞のお悔やみに書かれた言葉です。
わたしの母と叔母が二人で(要はおばあちゃんの娘二人ですね)考えた言葉なのですが、
本当に、一字一句、何の過不足もなく、おばあちゃんのことを表している一文です。

おばあちゃんがいるから、今の自分がここにいるということ。
単純に、血縁の話としてもそうなのですが、
もっとこう、なんて言えばいいんだろう。なにか絶対的なものをくれたということ。
それは誰にもさわれない。何があっても消えることのない何かです。

また、これは納棺式、通夜、葬儀への参加を通して、少しづつ整理できてきたことなのですが、
今まで「おばあちゃんをおばあちゃんたらしめていたもの」は、おばあちゃん自身の肉体だったのですが、今はもう、それがまわりのみんな、おばあちゃん以外全員の記憶にうつったんだなと思いました。

もっと言うと、
今自分自身が「おばあちゃんをおばあちゃんたらしめていたもの」の一端を担っているということです。私が忘れなかったり、宿してもらったものを伝えていけば、おばあちゃんはまだまだ続くということです。



改めて、納棺式、通夜、葬儀、初七日まで、すべての儀式に参加することが出来て本当に良かった。
今生の別れが出来て、本当に良かった。荼毘に付す場に立ち会えてよかった。
もし何かひとつでも抜けていたら、「まだお別れをしたくない」という、ズレた思いも抜けきらず、
「継ぐこと」をここまでしっかり意識が出来ていなかったかもしれません。

大げさにいうと「人は、死ぬとどうなるのか」ということが、少しくらいは理解が出来た気がします。



冒頭の「往生を遂げる」と言う表現ですが、お経をあげてくださった僧侶のご講話の中にあったものでした。
浄土真宗の教えに沿った言い方、ということで、逆に「永眠する」「安らかに眠る」言った表現は使わないそうです。
間違っていたら非常に怖いとおもいつつ書くのですが、お坊さんが言っていたのは、
要はおばあちゃんは「地上での役割を終えた」ということだったように感じました。
「死んだらそれまで」ではなく、人の人生は自分の生き死によりももっと大きな流れの一部だということを言っているように聞こえました。
普段はお坊さんの話なんて「それっぽい顔してそれっぽい話をしているだけ」くらいに思っているのですが、
この話はしっかり頭に入ってきましたし、その考え方は私にとってとてもありがたいものです。
「めぐっていく何か」を信じやすくするお話でした。



最後に。

おばあちゃん。ありがとう。
おばあちゃん。ありがとう。

もらったもの。忘れませんので。
もらったもの。つないでいきますので。

いままでも、これからも、
おばあちゃん。ありがとう。

まだどこかで、会いたいな。








※最後の最後に
わたし、このエントリ好きなんです。
私のおばあちゃんもおなじく、自分の命以上に続いていく何かを持っていたと思うんですよ。

それはもう、納棺のときに40代から5歳までの孫とひ孫計15人の全員が号泣していたことが物語っているのです。
せっかくなので紹介させてもらいますね。

最期に見る夢をいくらで買いますか? - ベンチャー役員三界に家なし