リメンバーミーがヤバヤバのヤバ
現在公開中の『リメンバー・ミー』のレビューを書こうと思ったのですが、ただただ「一刻も早く劇場公開中に観たほうがイイですよ!」としか言えないくらいの素晴らしい内容でしたので、内容にはほぼ触れず作品を観て感じた死生観についてつらつらと書くことにしました。
※死生観について書くのはこの作品の舞台は死者の国だからです。
※ポエムをかいているだけなのでシナリオや設定に関するネタバレはありません。
一個だけ言えるとすると本作のスタッフは「トイ・ストーリー3」のスタッフのようです。トイ・ストーリー3は感情がものすごく高ぶらされるんだけど、積み重ねと動かし方がとてつもなく品が良くて、本当に最高のラストでしたよね。今回あれに匹敵する、あるいは超えてるんじゃなかろうかと思います。
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「人は死んだらどうなるんだろう?」
みなさん一度は考えたことありませんか?僕はあります。そしてそれを考えた時に必ず同時に訪れる「では人はなんのために生きるのか?」という疑問。
「生きる」を考えると、「死ぬこと」を考える。逆も同じ。照らしたら影ができる表裏一体。そしてこの疑問、万人に共通の答えはもちろんなくて、人それぞれ。唯一できるとしたら答えとして定めること。信じること。決めの問題LV.100。
最近わたしが考えていることは
「人は、自分の寿命以上に続く何かを求めて生きている」というもので、
この仮説、割と悪くない線行ってるのではと一人でその気になってます。
「自分の寿命以上に続く何か」の例をあげると、わかりやすいのはやっぱり子孫。自分が死んでも生き続けるであろうもうひとりの自分。とてもわかりやすい。もちろん血縁に限らずとも、ひとによっては事業であったり会社であったりプロダクトであったり、詩や歌や絵画や写真などの芸術作品であったり。
例えばスティーブ・ジョブズの肉体はなくなっているけれど、みんなiPhoneを持っていて、それを彼がつくったものだということは知っています。でも例えばこれが自分たちの子供や孫の世代になるとどうでしょう。
「ねえねえ、iPhone作ったの誰か知ってる?」「知らん。知る必要あるの?」って。いつかなりますよね。時の洗礼ってやつです。
※追記:1日経って読み返すとスティーブ・ジョブズを忘れられる例として挙げるってめちゃくちゃセンスなくてむしろ真逆の永遠に語り継がれる存在なのでなんでこんなこと書いたんだろう。
要は子孫でもプロダクトでもいいんですけど最後は「記憶」に集約されるよねという話です。
ありますよね。某あれ。どん。
・・・人に 忘れ去られた時さ・・・!
これかなりこの通りだなと思うわけです。肉体の死の先には、記憶の死がある。いつかは死ぬけど、覚えててくれるひとはいて、でもそれもやっぱりいつかは忘れられるわけです。
わたくし2年前におばあちゃんを亡くしたときに同じようなことを考えました。
おばあちゃんをかたちづくっていた肉体がほどけたらおばあちゃんは「おばあちゃん以外の世界に」に溶けていく。ああ、これからは自分がおばあちゃんの一部を担当していくんだ。このお通夜、葬儀、告別式、初七日、四十九日、一周忌、、と言う一連のそれはたしかにそこにあった個人の生を体感し、つなぐことを自覚するのたの儀式なんだな。と。
ひとはしてもらえたことはしてあげられる。風邪をひいた時暖かくして寝かしつけてもらえること。りんごをすりおろして食べさせてもらえること。全部おばあちゃんから母へ。母からわたしへ。わたしからまた誰かへ。そうやって信じたくなる巡りあいに出会えときに、今までより死というものがあったかいような。。怖くないような。。いや、怖いけどね。
閑話休題。
結局作品のことにも触れますとですね、とにかくストーリー、キャラクター、世界観、全てが圧巻。素晴らしいのひとこと。天才たちが寄り集まって妥協せずにしっかり時間をかけて正しい仕組みでものをつくると、ここまでのものが出来上がるという事実にただただ感銘を覚えます。
一部の記事で『Pixer初のミュージカル映画』とかなぜか記載されてましたが、あれはなんだかマーケティングの都合が強い紹介のされ方であんまり気にしなくても良いのかなぁと思いますよ。(でも音楽も素晴らしいということは間違いないです)
ひとは死んだらどうなるのか?
こんだけ長々書いたけど、結局わからないですよね。嫌な言い方をすると今まで書いてみたこともただの妄想、、というか希望的観測であって。でも、もし、本当に死後の世界がこの映画のようだったら、、、いいなぁ。いいかもなぁ。むしろどんなにいいだろうか。アニメやフィクションの特権である「信じたくなっちゃう嘘」がここにはあります。
以下は蛇足として、
この映画はPixerやDisneyにおけるいちばんのヒットのかたち、いわゆる王道である「西洋のおとぎ話をモチーフにしたプリンセスもの」ではありませんし、愛くるしいおもちゃも可愛いモンスターも出てきません。
モチーフやベースになっているのは死者、ドクロ、メキシコ。どちらかといえば特に親しみやすい、愛しやすいものではない部類のものでしょう。それでも脚本の完成度、表現力、キャラクターデザインの力、全体を貫くテーマの普遍性で、興行的にも成功するところまでもっていってしまえる自分たちへの自信。本当に本当に素晴らしい。
Disney/Pixer恐るべし。特にトイ・ストーリー3のスタッフはマジで恐るべしです。トイ・ストーリー3から8年かかった作品が今作のようですが、もしまた同じスタッフでつくるなら8年位平気で待っちゃう。※思えばトイ・ストーリー3のラストも「つないで」終わりましたね。
この映画を「新しい水準のおとぎ話」と表現していた映画評論家がいらっしゃいました。まさしくその通り。親や親戚の子供に思わず伝えたくなる物語で、Disney/Pixerの黄金期まだまだ続きそうだなぁと思わされました。
Splathon#7で3位に入れたので自戦記を書く
タイトルのとおりです。
まずはsplathonの紹介
※公式ブログ
tech.speee.jpひとことで言うとsplatoonの企業対抗戦です。ということでイカ本文。
※以後ゲームであるsplatoon(スプラトゥーン)とイベントであるsplathon(スプラソン)の表記が紛らわしいため、ゲームのことはスプラ、イベントのことはthonと記載します。
このエントリのターゲット
thonにおける中位勢、S+1桁台まで。かつそこからもっとうまくなりたい人に参考になるであろうエントリです。thonの上位勢およびS+2桁やカンスト勢はむしろ間違っているところがあったら指摘をくれせい。
当日まで
チーム『ビズリイカ』で出場。いつの間にか出場は3回目(同じメンバーでの出場のみカウント)大会自体は7回目なので新顔感はもうすっかりなくなっているかも。
結果を先に言うと24チーム中3位タイ(2組)と、かなりの好成績を収めることが出来ました。スイスドローという形式の妙でちょっと実力以上の順位がでたところがありますが、それでも素直に嬉しい結果です。
我々のチームは具体的な順位よりも「前回よりも進捗があること」を最重要視していて、今後ひょっとして優勝することがあるとしたらその積み重ねの先だと私は考えています。あとはなんだかんだ安定したメンバーで出場できているのも強みのひとつです。
※ちなみに過去の戦績
出場1回目→15/16位,2回目→9/24位,3回目(今回)→3/24位
と、重要視している「前回からの進捗」を順位の面でも実現させることが出来ています。負けて学ぶこともありますが、今回は勝って学べることを体感できた結果になりました。
用意した戦略・ギア
私はスプラにおける戦略を「最も得意とするカタチ」と考えています。
カタチを構成する要素を「ルール」「ステージ」「ブキ編成」の3つと捉えているのですが、thonのルール(※)ではこのうち「ルール」と「ステージ」が相手依存になり絞り込みきることが困難。ということで実質的に残るのはブキ編成。つまりthonにおける戦略は「ブキ編成とほぼ同義」いうことになります。
(※)thonのルール/相手がルールを指定したらこちらはステージを指定。次にこちらがルールを指定し相手がステージを指定し2試合を行う形式です。
ブキ編成
黒ZAP・スプラローラー・ロングブラスター・黒ZAP(私)です。
今の環境(ver2.1.1)でさいつよと呼び声高いZAPが2枚おり、アーマー2枚や、塗り力など、チーム全体の安定が望める編成なのですが、最終的にここの編成にたどり着くまではけっこう苦労しました。
きっかけは前回大会でプライムシューターを持っていたチームメイトのごんべーさんが、「ローラーを持って前線に出たい」と言い出したことです。
苦労の原因は、「ローラーが入ったチームの立ち回りを誰も理解していなかったこと」です。もっというと当時は立ち回りをわかっていないこともわかっていませんでした。
そんな状態で臨んだ対抗戦は試合運びが終始不安定で、前線(当時ZAPとローラーと定義していた)と後衛(洗濯機&ロンブラ)の距離が離れすぎてキルで勝っても試合で勝てない。うまく言っているかどうかを確認する指標もわからない。リードをとってもすぐ逆転される。味方がどこにいるかが終始分からないなど、とにかくドタバタな出来。なんとかバランスを取ろうと、私が当時持っていた洗濯機のギアを変えてみたり、プラコラに持ち替えてみたりしましたがいずれも効果なし。
本番も近くになり不安を抱き始めた時には、
「ごんべーさんプラコラに戻してもらっていいですか」
と喉元まででかかったタイミングがあったのですが結局それは最後まで言いませんでした。
※結果からするとホント言わなくてよかった!
うちのチームは基本的に全員の意見を大事にする『合議制』で動いており。多数決も取りません。私が案をつくる流れが多いですがあくまでたたき台。それをそのまま押し付けたりはせず、常に全体に意見を投げて決めてきました。
thonにおける最重要項目ブキ編成決めも当然この合議制に従います。
つまり「それぞれが持ちたいブキを持つ」のが原則に「バランスをどう取るか」を合議制で決めていく。今回のローラーは計算の立ちやすさよりもチームとしてのトライを優先したかたちになります。
※こちらは個人的なものですが「性格にあったブキ(≒持ちたいブキ)を使う方が結果的に強くなれる」という仮説もこの判断の一部です。
最終的に当時持っていた洗濯機あるいはプラコラを捨てて、ZAPにいきつくのですがこれがチームバランスに素晴らしい結果をもたらしました。
きっかけは、ある日チーム練習リグマの助っ人に入ってくれた前回thon優勝メンバーのいかずちさん。一緒にリグマを戦う中で『塗りが終始安定してないし、ブキ構成的にも立ち位置がかぶりやすくて渋滞を起こしてる。』との指摘をくれて、その次の試合はいかずちさん自身がわかばをもって塗りを安定させたらチームにどのような影響があるかを実演してくれました。
※一回スペ増無しで塗り2,000pt、アーマー10回みたいな回があったなぁ。すごい。
いかずちさんわかばで一緒に数回バトルをし、安定した塗りがもたらす影響をチームが体感できたら、その後私がZAPでその役割を担うという、とてもわかりやすい指導を施してくれました。実際それをきっかけにチームがわりといい風に回りはじめたと思います。
まさにここがissue。いかずちさん本当にありがとう。
ギア
ヒト速1,3、サインク1,3、対物1、ボム飛0,2、爆減0,1
塗りZAPなのにスペ増を一切積まないというギア構成ですがこれには経緯がありました。
はじめはスペ増を積んでいたのですが、「スペシャルが溜まってから吐くまでの時間」は「スペ増ギア枠が死んでいる」ことになるので、そのことをもったいなく感じ始めたのがきっかけです。
またギアが持つ影響として「得られる効果」と「効果を得ようとして意識してしまう立ち回り」のふたつの側面があると思っています。何を言っているかというと、私には「スペ増を積みすぎると打ち合いが怖くなって前に出るのが億劫になる傾向」があるんです。そうなるとリスポン付近のスペシャルのための塗りスペースも埋まりがちになり、試合の中盤以降の肝心なポイントで、味方のスペシャルも溜まりにくくなるという悪循環が想定されます。
また、thonにはリスクを負わずに塗ってひたすらアーマー吐くだけで勝てるような甘いチームがあまりありません。1人がそんなことばかりしていたら必ずじわじわとした形勢不利を作られます。やはりある程度前に出る必要もあるため、打ち合いに負けないようにヒト速1,3を積み、ここぞという時はもともとスシ使いだった経験を活かして前にもでられるような構成にしています。
残りの枠はボム飛とサインクに枠を割り振り、味方が1on1を行っているところにキューバン援護、という立ち回りを行っていました。アーマーを吐くよりもう一歩攻撃的なサポートをリスクを少なく(ボム飛)回数を多く(サインク)行えるギア編成です。
※ひょっとしたらお気づきの方いらっしゃるかもしれませんがこれは超有名プレイヤーたいじのリスペクトギア(a.k.a丸パクリ)でもあります。これは前に出るときの心理的おまもりです。
戦歴
1回戦 vs ヌリカエ(2-0で勝利)
企業対抗戦であるthonホストチームとの初戦。
実は相手のウデマエを把握できていなかったのですが、2試合とも危なげなく勝ち切ることが出来ました。2戦目相手指定ルールのホコに関しては60秒くらいでノックアウトできて、試合終了直後、thon主宰かわくぼっくすさんの
「だからホコはだめだって言ったじゃないかー!」
という声が部屋の外から聞こえてきてちょっとおもしろかったです。
相手チームの方に「ちょっとロンブラの人強すぎないですか、、、?」とおっしゃっていただけるほど、キルエースのスペさんが活躍してくれました。
2回戦 vs く(0-2で負け)
相手は優勝経験もあるとても強いチームで、私が心のなかで呼んでいる「しきい値ノムコウ」チームの一角です。
※「しきい値ノムコウ≒ただのS+では太刀打ちできない優勝を狙えるチーム」
※体感値ですがthonには毎回5チーム程度のしきい値ノムコウチームがいます。
実力差があることは初めからわかっていたのですが、それがそのまま出て負けてしまいました。
1戦目海女美アサリの初動のみうまくいきガチアサリを放り込むことが出来たのですが、その後なんと全落ちをかましてしまい大幅リード&激烈な固め。以降は前に出るきっかけがつかめないままゲームセット。
2戦目マンタマリアヤグラもチームとして効果的な攻めが繰り出せず。
特に相手のロンブラが我々から手が出しづらい位置(※引いているわけではない絶妙な位置)から常にセンプクキルを仕掛けてきて我々チームはうまく連動するタイミングをことごとくくずされました。
総じて個々人の力の差がじわじわと試合の大勢に反映され始め状況が悪くなる一方の展開でした。リスクを負ってでもチームとして前に出るタイミングを作れなかったことが悔やまれる内容。
これはこの2試合とは一歩引いた所感なのですが、チームとしてリスクを認識できるようになることは成長なのですが、今度はリスクをとったチャレンジが少なくなるフェーズに陥ってしまう気がしています。「リスクを認識して避ける」だけではなく「いざという時は大きく賭けてリターンを獲りに行く」つまるところ「リスクをマネジメント」ができるようになるということが、次への課題ですね。
3回戦 vs 念のため会社にはSwitchドックを設置している(2-0で勝利)
※試合は10分30秒から開始となります。接続確認に時間を使ったためです。
※解説自体は残っているので接続確認の時間も動画には残っています。
とても緊張するニコ生放送席での試合でした。
1戦目のタチウオナワバリは俯瞰で見ると甘いところがたくさんありましたが、チームで事前に決めていたチャージャーの導入が奏功しなんとか勝利。
現環境ではチャージャー使いが非常に少ないため、タチウオナワバリでのみ効果的であると仮説立て、それが見事にハマりました。また、あとで見返すとローラーが非常にいいタイミングで裏に入ってくれていました。
※解説で指摘されている3段の塗り残しは完全に私のタスク漏れです。すいません。
※あと初代からプレイしているくせにピンチ表示の意味をこの解説で知りました。すいません。
2試合目のザトウヤグラは完全にローラーのごんべーさんの試合でした。
相手チームのリーダーがラピブラに持ち替え、メインによる牽制とスペシャルのボムラッシュによるヤグラ防衛がかなり機能していたため苦戦しましたが、それを壊してくれたのがローラー。執拗な裏取り、要所の3キル、最後のヤグラ止め。まさに面目躍如とも言える出来で、いやホント「ごんべーさんプラコラに持ち替えてください」って言わなくてよかったよ~~。
チャクチで一気に3キルをとったシーンは私の「(相手の)アーマー終わってから!」という声が聞こえていたそうなので、試合中は本当にこういったひとことが勝負の分かれ目になりますね。実はその声はごんべーさんが裏取ってスペシャル溜まっていることを認識せずに放っていたひとことなんです。半分ラッキー、半分必然ですが、会場から歓声が上がるほどの試合の山場を影で演出できました。
試合の後に両チームの代表者が呼ばれて試合の所感を語るのですが、あれは将棋や囲碁で言う感想戦でとってもためになりますね。相手チームのリーダーの言葉にあった「バランスが良くて苦しんだ」という一言は、実はそう見えることが意外だったというかなんというか。「飛び抜けたプレイヤーがいないという特徴は強みに転換するしかない」という気づきは今後に向けた強化コンセプトの一端になりそうです。
※余談ですがイカッチャローカルだとリザルトがイカリングに残らないのどうにかしてほしいですねぇ。。試合結果をキャプチャで残すことはできますが試合直後で忘れやすいのと、デス数が表示されないゆとり仕様なのはちょっと問題かなと。せめてイカッチャにいけば確認できるようになるといいなとは思うのですがまぁこのモードを使っている人口を想像すると優先度あがらないかなぁ。。。
4回戦 vs Ajitoon(2-0で勝ち)
3戦完了した時点で2勝1敗、勝ち点6。前回大会の3試合で得た勝ち点を4試合に当てはめて計算したとしても、6を上回ってこないため、この時点で「前回からの進捗」を果たすことが出来たとわかり、チームメンバーに共有し喜びを分かち合いました。
この段階になってくるとチームとして落ち着いたプレイが出来るようになっており、普段通りあるいは普段以上の戦いが出来たと思っています。特に1勝し迎えた2試合目のBバスヤグラ。初動カウントを取ったあと、逆転されるのですが、なぜか必ずもう一度リードを取り返せる自信がありました。
※確認していないけどチームメンバーもそうだったと思います。
報告の密度がこれまでとは段違いで、味方が今を何しているか、何をしてほしいかが常に把握できた状態で試合を運ぶことが出来た結果、逆転はもとよりノックアウトまで持っていくことが出来ました。今後はそれを前提として、相手が何をしているかまでレベルを上げたいと思っています。
全試合を通じて
ローラーを交えた立ち回りをチームで身につけられたことが一番の進捗です。今振り返るとローラーを前衛後衛で捉えようとすることがそもそも間違っていたのかなと思います。今のチームをあえて言葉にするなら、「起点1(ローラー)中衛3」です。今後は2枚のZAPをサッカーの両サイドバックようにつるべの動きを基本に連携ができるとおもしろいかもしれないな、など考えています。
ローラーを取り入れることはチームとして大きな変化でしたが一時的に強さが凹んだとしても何かしらチャレンジを継続したほうが、長い目で見るといいですね。いろんなことに通ずる原理だと思っており、それを改めて学ぶことが出来たと思っています。
※好成績だったせいもあり、懇親会で色々話しかけてもらえて友達も増えたこともうれしかったです。
一緒にZAPをもっていたポリゴンさん。
ヤグラに載ってくれたり要所でアーマーを吐いてくれたり、これまでよりも可視化しにくい貢献度合いでしたがチームを非常に助けてもらえました。
ローラーを持ちたいとかいい出したごんべーさん。
「プラコラに持ち替えてほしい実は感づいてました」は笑いました。結果としてチームの新しい幅につながって良かったです。
キルエースのロンブラスペさん。
相手が「嫌だった」とコメントを残すのは大概ロンブラですね。戦況を見て要所を抑え守りまでやってくれる点いつも助かっています。
優勝を狙える位置、いわゆるしきい値ノムコウチームにはまだまだ敵いませんが、今後も進捗を積み重ねて行きましょー。
以上!
あれは生命の最大の肯定
hihumiyo.net
※みてないけどスマホダイジョブなのかこれ。。
『流動体について』が良すぎました。
最近の自分には「CDを買う」と言う行動が復活してて、
ここ数ヶ月で4枚ほどポンポンと購入してます。
で、大事なのはiPhoneに落とさないこと。
CDプレイヤーは流石に持っていないので、
DVDプレイヤーでそこそこのスピーカーに繋いでその時だけ聞いております。
(アナログ、、はわたしがハンパな音楽好きなので場所とって面倒なんです。。)
で、iPhoneに落とさないのはなんでなんだろうと言う話をしますと、
「流れているのに聞いていない時」をなくしたいんですよね。
ありませんか?
移動中イヤホンから流れているのに、
別のニュースを見ている時、
SNSのコメントを返している時、
仕事のメールを返している時。
音楽ってこの時間にすり減っているな~。
って言うことはずっとずっと思ってまして。
その時間に音楽からBGM、あるいはそれですらない電気信号になってしまって、
いつの間にか聞いてもなんにも感じなくなってしまう。
何となくですが、「音楽は何も変わっていない」
ってことをそろそろ言い始める時期なのかなと言う感じがします。
※こんなおおげさな話はここに書いてあったから言い出せる。
realsound.jp
音源のあり方とかビジネスモデルとか、
進歩のための実験だと言えばそれまでかもしれないけれど。
いい加減音楽家に対する敬意を見直してもいいのかなー。
やっぱり聞くだけ人でも音楽のどこかは担っているんだと思います。
例えば晴れた休日に部屋の掃除をしながら、
楽しい一日を始めようとするその瞬間に流れていて欲しい音楽。
“僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも”
小沢健二の見せない宝石のようなみたいな慎み深い肯定感は、
このころからなにも変わってなかったのでした。
いた人が、いなくなったということ
2017年2月1日、おばあちゃんが往生を遂げました。93年の生涯でした。
身近な人の喪失は、一番直接的な我が身を振り返る機会ですので、
考えたことをひとつここにまとめておこうかと思います。
(いや、というよりは、「書かずにはいられない」と言う気持ちのほうが正直で正確かもしれません。)
これまでも体調を崩しがちなタイミングはあったのですが、
昨年の末にいよいよ、と言うか「もう桜は見られないと思う」と母親から連絡が入り、
二ヶ月ほどしたあとの知らせでした。
※私の母親は長く看護師を務めていました。命日は母親の予想と三日とズレていなかったようです。
葬儀に関しては職場にご理解いただき、納棺から、通夜、葬儀、初七日(略式)と、
ひと通り、参加することが出来ました。この場を借りて改めて感謝いたします。
葬儀の二週間前に一度、帰郷することが出来、(結果的にですが)今生の別れをすることも出来ました。
おばあちゃんに会えたのは病院のベットで、
おみやげのジャムを食べてもらったり(固形物はもう口に入らない状態でした。)
体を抱き寄せさせてもらったり、ただ、目を合わせて、言葉ではないやり取りをしてきました。
抱き寄せたおばあちゃんは、ほんとうに小さく、「小さくなったのはボクに全てをくれたから」という『東京タワー』の描写を思い出しました。
会話もいくつかだけ出来たのですが、、私ここかなり強烈に刻まれたことだったんですけど。
こんなタイミングでもおばあちゃんが言う事って、普段と全くおんなじだったんですね。
「今日は泊まってかんがけ?(いかないの?)」
「ひどいがにつかえんかったねぇ(来るのが大変なのに来てもらって申し訳なかったねぇ)」
「あいそんなかったねぇ(充分にもてなせなかったね?)」
「ケガせんと、いっしょうけんめいはたらかれ」
「おっきなった、、おっきなった、、、」
なんでおばあちゃんは、、、
こんなタイミングでも、自分が痛いとか、苦しいとか、一言も言わないんだろう。
自分がもし、おばあちゃんのように年齢を重ねても、ああいう風になれるとは到底思えなくて。
帰り道、母親が、
「おばあちゃんみたいな人はおばあちゃんしかムリ。」
「あんた『この世界の片隅に』観たいうとったやろ。あの時代の人いうことやちゃ。」
と言っていました。それなんだかわかる気がするんです。
(あぁ。すずさんとおばあちゃんはほとんど同い年なんだ。)と。
わからない。決してわからないんですけど。なんとなくは。
(そう考えると能年玲奈もすごいなぁ。観てない人観てみてください。)
すこし、私とおばあちゃんの話をさせていただくと
私の家がそもそも共働きでして、母親は看護師で帰りも遅いということで、
夏休みの期間はまだ小さいわたしが一人になってしまうと。
なのでその間だけ母方の実家に居候をしていたんですね。
「夏休みになったらおばあちゃんと一ヶ月過ごす」
小学生の時はそういう日々を送っていました。
おばあちゃんって本当にすごい人で、僕はただ、100%かわいがってもらうだけの存在でした。
兎に角おばあちゃんにはめんどくさがられた記憶がただの一瞬もありません。
ただの瞬き、表情、口調、一瞬も負の感情を僕に向けたことがなく、ただただ愛情を注いでもらいました。
この世に絶対的なものがあるのだとしたら、それがおばあちゃんでした。
“穏やかで優しく家族の幸せを守ってくれる人でした”
これは新聞のお悔やみに書かれた言葉です。
わたしの母と叔母が二人で(要はおばあちゃんの娘二人ですね)考えた言葉なのですが、
本当に、一字一句、何の過不足もなく、おばあちゃんのことを表している一文です。
おばあちゃんがいるから、今の自分がここにいるということ。
単純に、血縁の話としてもそうなのですが、
もっとこう、なんて言えばいいんだろう。なにか絶対的なものをくれたということ。
それは誰にもさわれない。何があっても消えることのない何かです。
また、これは納棺式、通夜、葬儀への参加を通して、少しづつ整理できてきたことなのですが、
今まで「おばあちゃんをおばあちゃんたらしめていたもの」は、おばあちゃん自身の肉体だったのですが、今はもう、それがまわりのみんな、おばあちゃん以外全員の記憶にうつったんだなと思いました。
もっと言うと、
今自分自身が「おばあちゃんをおばあちゃんたらしめていたもの」の一端を担っているということです。私が忘れなかったり、宿してもらったものを伝えていけば、おばあちゃんはまだまだ続くということです。
改めて、納棺式、通夜、葬儀、初七日まで、すべての儀式に参加することが出来て本当に良かった。
今生の別れが出来て、本当に良かった。荼毘に付す場に立ち会えてよかった。
もし何かひとつでも抜けていたら、「まだお別れをしたくない」という、ズレた思いも抜けきらず、
「継ぐこと」をここまでしっかり意識が出来ていなかったかもしれません。
大げさにいうと「人は、死ぬとどうなるのか」ということが、少しくらいは理解が出来た気がします。
冒頭の「往生を遂げる」と言う表現ですが、お経をあげてくださった僧侶のご講話の中にあったものでした。
浄土真宗の教えに沿った言い方、ということで、逆に「永眠する」「安らかに眠る」言った表現は使わないそうです。
間違っていたら非常に怖いとおもいつつ書くのですが、お坊さんが言っていたのは、
要はおばあちゃんは「地上での役割を終えた」ということだったように感じました。
「死んだらそれまで」ではなく、人の人生は自分の生き死によりももっと大きな流れの一部だということを言っているように聞こえました。
普段はお坊さんの話なんて「それっぽい顔してそれっぽい話をしているだけ」くらいに思っているのですが、
この話はしっかり頭に入ってきましたし、その考え方は私にとってとてもありがたいものです。
「めぐっていく何か」を信じやすくするお話でした。
最後に。
おばあちゃん。ありがとう。
おばあちゃん。ありがとう。
もらったもの。忘れませんので。
もらったもの。つないでいきますので。
いままでも、これからも、
おばあちゃん。ありがとう。
まだどこかで、会いたいな。
※最後の最後に
わたし、このエントリ好きなんです。
私のおばあちゃんもおなじく、自分の命以上に続いていく何かを持っていたと思うんですよ。
それはもう、納棺のときに40代から5歳までの孫とひ孫計15人の全員が号泣していたことが物語っているのです。
せっかくなので紹介させてもらいますね。
2016年5つのおもしろかったこと
2016年おもしろかったことです。
「人は17歳の時に聴いていた音楽を聴き続ける」だそうです
— えこ (@erkihr) 2016年12月21日
今はタワレコにもCD並んでるようで活動期間からするとものスゴいことですね。
銀杏BOYZの峯田君、
ようなことを探し求め コーラを飲み泣きじゃくった日々よ”
フロントマン角舘君の世界観と活動。点ではなく線で追っていきたいと思わせる人。
※「もうちょっと聞きたい」と思った人はこの曲↓がいいのではないか。
Yogee New Waves / Like Sixteen Candles(Official MV) - YouTube
■映画
「この作品は家族ものなんだな」と言うことです。
誰もがもつ日常、暮らし、家族との営み。
ただそこに戦争が、あった。
目を覆いたくなるような描写もなくはないけれど、
それを含めてもこころの底からみて良かったと思える作品でした。
SuperMarioRun
「どうやったらマリオをシンプルにできるか?」
宮本さんはそのことをずっと考えていたようです。
宮本茂氏、iPhone向け『スーパーマリオラン』は「アプリ内購入なし」や「ポケモンGOを意識」と語る - Engadget 日本版
リリースのちょっと前に公開されたこの動画がとてもステキで。
※賛否両論って大体「否」が多いことのオブラートですがこれは本当に割
何故そうなるのかをいろいろ考えていたのですが、
マリオランが高いか問題。人間は1200円という絶対値ではなく、「参照点」という相対値で判断する。普段ソシャゲやってる人は、参照点が300円とかにセットされてて、据え置き勢は6000円にセットされてる。なので、どんなもん作ろうがスマホで出した時点で、基本は超高いと感じられてしまう
— 深津 貴之 (@fladdict) 2016年12月22日
2016年5つの買ってよかったもの
こんにちは。
2016年、買ってよかったものを紹介します。
■お料理
HARIO ( ハリオ ) フタ が ガラス の 萬古焼 土鍋 ご飯釜 N 3合 GN-200B
・炊きたてが食べたいこと
・キッチンのスペースを有効活用したいこと
を考えてこのお鍋にしてみました。
すごく簡単で、普通に研いで、火にかけて、笛がピーピー鳴ったら、火を止める。
※やかんについてる笛みたいのがついてるんです。
こんな感じで炊きあがっちゃうし、ハンパな炊飯器より格段に美味しいです。
バルミューダ スチームオーブントースター BALMUDA The Toaster K01A-WS(ホワイト)
バルミューダ スチームオーブントースター BALMUDA The Toaster K01A-WS(ホワイト)
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タイミング的には旬ではないかもしれませんが、このトースター評判通りに素晴らしかったです。
パンはもちろん美味しいのですが、色々なレシピを公式で用意してくれています。
レシピ | BALMUDA The Toaster | バルミューダ
この中のローストビーフがほんとに美味しくて満足度で言うと今年イチ高かったので、
すっかり会社自体のファンになってしまいました。これからの製品も期待してます。
一汁一菜でよいという提案
こちらは調理器具ではなく本。
「この人のレシピは信頼してる」って人が三人いるんですけども、
そのうちのひとりが土井さんです。
何よりこの本に書いてある考え方がものすごくためになりました。
ざっくりいうと、
「料理にもハレとケがあるんです毎日の料理はケなんだから、
具沢山のお味噌汁、おつけもの、ごはん、があれば全然手抜きじゃないです。」
ということが提案として書いてありました。
※ちなみにハレは非日常、ケは日常みたいなことです。
■音楽
Fantôme/宇多田ヒカル
宇多田ヒカルって思い入れありすぎるのでそこは割愛するのですが、
↓タイムラインに流れてきたこの感じがすごく近いです。
人間活動をするために活動休止した宇多田ヒカルは、順序を熟知していたんだな、と改めて思う。まずは自分の人生があり、その中から歌が生まれる。歌のためにプライベートを休止して仕事し続けるってのは、順序が違う。
— LiLy (@LiLyLiLyLiLycom) October 3, 2016
活動休止を聞いた時、「全然いいでしょ」って思ってました。
宇多田ヒカルがいままでもっていなかった日常を手に入れて、
※「今まで、日常というものがなかった」と、本人テレビでおっしゃってました。
それでまたこんないいアルバムを聞くことが出来るだなんて本当にうれしいです。
一番怖かったのはあのまま突っ走ってすっかりズレてしまった宇多田ヒカルの歌を聴くことだったんだな~と改めて思いました。
KANDYTOWN <通常盤>/KANDYTOWN
HIPHOPのことは全然知らないんですけど、
Shing02、THA BLUE HARB、Rhymester、RIPSLYME、GOKUGREEN、SARUなどは聞いていました。
でも、HIPHOPってなんというかハラオチしてなかったんですよね。
「ROCKな瞬間」は身体でわかるんですけど、
「HIPHOPの魅力」って言われるとなんというか借りてきた猫感。
でもこれ聞いてちょっとわかった気がします。
ひょっとしたらもう私のHIPHOPはこれだけでいいかもしれない。
それくらいかっこよくて衝撃を受けました。
もうちょっとありますのでまた書きます。
ではまた。